国王の処刑は、残された王室一家にとって地獄のような日々の始まりに過ぎませんでした。ルイ16世の死後、ジャコバン派による「ロベスピエール恐怖政治」が本格化し、革命裁判所は反革命分子とみなされた数万人を次々とギロチン台へ送りました。
国王処刑から約9ヶ月後の1793年10月16日、王妃マリー・アントワネットも処刑されました。粗末な囚人服を着せられ、肥桶を運ぶ荷車で見せしめにされながら革命広場へと運ばれた彼女は、処刑人の足を踏んでしまった際に「ごめんなさい、わざとではありませんのよ」と謝罪したという逸話を残し、37歳で散りました。
さらに悲惨を極めたのが、王太子であった次男ルイ・シャルル(ルイ17世)です。わずか8歳で母親から引き離され、タンプル塔の薄暗い独房に幽閉された王子は、靴職人の監視人から虐待を受け、不衛生な環境のなか結核性腹膜炎を患い、1795年に10歳で病死しました。
長年、ルイ17世には「実は脱出して生き延びたのではないか」という生存説・すり替え説が囁かれ、数十人もの偽名乗りが現れました。しかし2000年、奇跡的に保存されていた王子の心臓と、マリー・アントワネットの遺髪を用いた最新のDNA鑑定が実施され、2004年に心臓が間違いなくルイ17世のものであると公式に確認されました。現在、その心臓は歴代フランス国王が眠るサン・ドニ大聖堂に正式に埋葬されています。