先進テクノロジーや観光資源としての再評価が進む一方で、歴史の語り部としての本質的価値を忘れてはならない。大正から昭和にかけて、地域住民が苦しんだ煙害や喘息被害。そこには、大気汚染を少しでも和らげるため、当時の技術者たちが知恵を絞って世界最高峰の高煙突を建設し、有毒ガスを上空へ拡散させようとした試行錯誤の足跡も残されている。
単に過去の過ちを隠蔽したり解体して痕跡を消し去るのではなく、負の歴史と技術開発の苦闘をセットで後世に伝える展示ブースを併設する動きが広がる。地域の子どもたちが環境問題を身近に学ぶフィールドワークの場としても活用されており、過去の痛みを忘れない未来志向の教育インフラとしての重要性も増している。