作中に登場する「秋名山」という名称は架空のものですが、その地形、道路の曲率、標識、展望台の位置関係に至るまで、実在する榛名山(群馬県道33号渋川松井田線)と完全に一致しています。では、なぜ数ある群馬の名峰の中で、榛名山が物語の主舞台として選ばれることになったのでしょうか。
最大の理由は、原作者であるしげの秀一氏自身のドライブ体験とコース形状の完成度にあります。当時の関係者証言やインタビューの記録によると、しげの氏は連載開始前の構想段階において、関東近郊の峠道を自らの愛車で精力的に走っていました。その中で、榛名山の上り下りが描くリズミカルな中速・低速コーナーの連続、とりわけ後半に待ち受けるヘアピンセクションのドラマチックな造形に強いインスピレーションを受けたといいます。山頂に静けさをたたえるカルデラ湖(榛名湖)があり、山麓には歴史ある温泉街(伊香保温泉)が広がるという「日常と非日常が隣り合わせの生活感」も、家業の豆腐配達という特異な設定を成立させるうえで不可欠なピースでした。
一方、実在の「榛名山」という名称をあえて使わず「秋名山」へと変えた背景には、出版メディアとしての慎重な配慮が存在していました。実名をそのまま冠して公道レースを描くことは、暴走行為の助長や現地への風評被害を招く懸念があったため、フィクションとしての境界線を明確に引く必要があったのです。また、春を連想させる「榛名(はるな)」に対して「秋名(あきな)」と名付けることで、哀愁やノスタルジーを漂わせる文学的な響きを持たせる意図があったことも、長年のファンの間で広く知られています。