表題作である『春と修羅』において、賢治は陽光きらめく美しい花巻の田園風景のただ中で、突然「おれはひとりの修羅なのだ」と自らを激しく断罪します。読者が抱く最大の疑問は、春と修羅はなぜ修羅なのかという一点に尽きるでしょう。春という生命の胎動を祝福する季節と、争いと憎悪に満ちた「修羅」という言葉は、本来であれば相容れない対極の概念だからです。
仏教の六道輪廻(地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上)において、阿修羅道は「怒り・嫉妬・闘争」に囚われた亡者が堕ちる世界を意味します。この春と修羅の意味を紐解く最大の鍵は、大正期当時の春と修羅の執筆背景にあります。賢治の生家は、岩手県花巻の裕福な質屋・古着商でした。冷害や凶作にあえぐ極貧の小作農民たちが、命を削るようにして持ち込むわずかな家財を担保に金を貸し付け、利息を吸い上げることで宮沢家は繁栄を誇っていたのです。
花巻農学校の教諭として農村青年の育成に情熱を注ぎ、法華経の絶対平等を信じる賢治にとって、生家の家業は耐え難い「構造的収奪」そのものでした。農民の苦しみの上に成り立つ温かい食事を口にし、仕送りを原資にして最新のクラシックレコードを買い漁る自らの欺瞞。さらには、性的な煩悩や他者への優越感を消し去ることができない自己の醜悪さに対し、賢治の内面では怒りの炎が狂乱のように燃え盛っていました。
爛漫と咲き誇る春の光景が美しければ美しいほど、それに共鳴できない自らの歪んだ内面、すなわち「自分だけが救われようとするエゴイズム」が浮き彫りになります。賢治が自らを修羅と呼んだのは、世界を呪ったからではなく、「春の無垢な美しさに値しない、自己の内に巣食う卑小な業(ごう)への絶望的な自己告発」にほかなりません。