妻・典子さんとの出会いは、橋下徹氏の母校である大阪府立北野高校時代にさかのぼります。北野高校といえば京都大学や東京大学に多数の合格者を輩出する関西屈指の公立進学校。橋下氏はラグビー部に所属し、花園(全国高校ラグビー大会)に出場するスター選手でした。一方、典子夫人も同校の同級生であり、青春時代を共に過ごした間柄でした。
高校卒業後、橋下氏は一浪を経て早稲田大学政治経済学部へ進学し上京。典子夫人も神戸の短大へ進学していましたが、二人の遠距離恋愛は途絶えることなく、やがて典子夫人が東京へ合流する形で同棲生活がスタートしました。この時期の生活は決して華やかなものではなく、四畳半のアパートで新聞配達やアルバイトを重ねながら、司法試験合格を目指す極貧生活でした。
当時の様子について橋下氏は、テレビ番組や対談などで「妻がいなければ今の自分はない」と公言しています。典子夫人は資金繰りが逼迫する生活のなかでも愚痴を言わず、六本木や池袋周辺の安アパートで橋下氏を精神的・経済的に支え続けました。1994年に橋下氏が25歳で司法試験に合格した翌年の1995年、二人は正式に入籍を果たしています。
知事就任後や政界進出期に週刊誌による女性問題報道が持ち上がった際も、典子夫人は家庭内において厳しい叱責を浴びせつつも、最終的には「家庭を崩壊させない」という強い意志を見せました。家庭内の権力構造において「一番怖いのは妻」と橋下氏が語る通り、精神的な主導権を典子夫人が握ることで、過酷な政治生活の荒波から家庭を守り抜いた経緯があります。