「デニーズのメニュー表に江口寿史のイラストが登場したのはいつからなのか?」という問いに対し、記録は1992年秋を明確に指し示しています。当時、日本の外食産業は激しい転換期を迎えていました。1970年代から80年代にかけての「家族団らんの場」というファミリーレストランの初期定義から脱却し、急増する若者層や単身者、働く女性たちが集う「サードプレイス(第3の居場所)」としての役割が求められ始めていたのです。
当時のデニーズを運営していたデニーズジャパン(現セブン&アイ・フードシステムズ)の制作陣が直面していた課題は、競合チェーンとの差別化と、アメリカンダイナーにルーツを持つ店舗の「都会的でスマートな空気感」の再定義でした。そこで白羽の矢が立ったのが、当時『ストップ!! ひばりくん!』などで圧倒的な描線と卓越したファッションセンスを世に知らしめていた江口寿史氏でした。
江口氏の自著や当時の関係者の回想録によると、オファーが舞い込んだ1990年代初頭、氏は週刊連載漫画のプレッシャーと格闘しながら、イラストレーションという表現形式へと本格的に表現領域を広げようとしていた過渡期にありました。「漫画のコマから飛び出した、呼吸をしているようなリアルな女の子を描きたい」という江口氏の美意識と、「従来のファミレスの野暮ったさを払拭したい」というデニーズ側のブランディング戦略が完璧に合致した瞬間でした。
メニュー表の表紙を飾ったのは、ハンバーグやパフェの写真ではなく、どこか気だるげで、けれど凛とした透明感を放つショートカットの女性や、風に髪をなびかせる少女のポートレートでした。この大胆な試みは、外食業界のみならず広告デザイン界にも激震を走らせ、1997年頃まで続く伝説的なシリーズとして歴史に刻まれることになります。