1930年11月28日の夜、ふたりは神奈川県鎌倉町の小動崎(こゆるぎざき・現在の鎌倉市腰越)の海岸へと向かいました。波音が打ち寄せる小動神社の裏手で、大量の睡眠鎮静剤「カルモチン」をあおり、冷たい夜の岩場で意識を失いました。
翌29日の未明、海岸で行き倒れていたふたりが発見されます。しかし、田部シメ子はすでに呼吸を停止しており、太宰治だけが一命を取り留めました。シメ子の享年はわずか18歳でした。
なぜ彼女だけが命を落とす結果になったのかについては、現在も複数の要因が指摘されています。ひとつはカルモチンの摂取量の差、もうひとつは個人の体質や嘔吐の有無です。太宰は致死量に至る前に嘔吐した、あるいは致死量に達していなかったと見られていますが、シメ子の体内には確実に薬毒が回り、急性中毒死に至りました。
太宰はこの事件により「自殺幇助罪」の容疑で警察の取り調べを受けましたが、実家の影響力や情状酌量により起訴猶予処分となっています。