衝撃的なクリフハンガーで幕を閉じ、「当然シリーズ化されるもの」と受け止められていた本作。制作関係者の証言や業界動向を総合すると、続編が立ち消えとなった背景には、単一のトラブルではなく映画ビジネス特有の複合的な壁が存在していました。
第一の要因は、興行収入の費用対効果(ROI)です。本作の最終興行収入は約12億2000万円。決して大爆死ではないものの、三池崇史監督特有の豪快な特撮・VFX費用、大規模なスタジオセット、そして若手トップ俳優を揃えたキャスティングコストを差し引くと、東宝配給の大作としては「続編製作へ即座にゴーサインを出すには慎重にならざるを得ない境界線」でした。公開当時はR15+指定(15歳未満入場不可)が課されたことで、原作の中核ファン層であった中学生以下の動員を断たれたハンディキャップも大きく響いています。
第二の要因は、キャスト陣の爆発的なキャリアアップとスケジュールの完全逼迫です。主演の福士蒼汰をはじめ、サイコパス・天谷武を怪演した神木隆之介、ヒロイン・秋元いちかを演じた山崎紘菜、高瀬翔子役の優希美青、さらには声優として参加した前田敦子や山崎努など、出演陣のステータスは公開後に急騰しました。特に福士と神木は日本映画界のトップランナーへ駆け上がり、2020年代に入ると拘束期間の長いデスゲーム系群像劇へのスケジュール再招集は事実上不可能となりました。
第三の要因は、原作漫画『神さまの言うとおり 弐』との脚本的整合性の喪失です。原作の金城宗幸氏が講談社「別冊少年マガジン」から「週刊少年マガジン」へ移籍して連載した第弐部は、映画版とは異なるパラレルワールド的な展開(学校をサボっていた生徒たちが挑むゲーム)から始まります。映画版の脚本(八津弘幸氏)は第壱部のエッセンスを換骨奪胎し、ラストで独自の着地点を選んだため、原作通りに弐を映画化しようとすると主人公が交代し、観客が期待する「高畑瞬と天谷武のその後」を描けないというジレンマに陥ったのです。
第四の要因は、過激描写に対する社会規範・コンプライアンス基準の厳格化です。教室内で生徒の首が吹き飛び赤いビー玉が散乱するオープニングなど、実写表現におけるバイオレンスの閾値は2010年代半ば以降、映画倫理委員会(映倫)や地上波放映権ビジネスの観点から年々シビアになっています。地上波ゴールデンタイムでの放送が見込めず、二次利用収益が配信プラットフォームに限定される点も、巨額の続編予算を組む上での足枷となりました。