尾崎豊の死は当初「事件性なし」として処理されましたが、死後2年が経過した1994年、写真週刊誌『フライデー』に衝撃的なスクープが掲載されます。流出した「死体検案書」の写真とともに、全身に無数の内出血やあざ、擦り傷を負った遺体写真が公開されたのです。
この報道を機に、「何者かに暴行を受け、無理やり薬物を摂取させられたのではないか」という他殺説・謀殺疑惑が噴出。実父である尾崎健一氏や兄、そして熱狂的なファン層が中心となり、真相究明を求めて警察へ10万人規模の再捜査嘆願書を提出する事態に発展しました。
しかし、捜査当局および法医学教室の統一見解は一貫していました。
- 外傷の性質:傷は致命傷となるような骨折や頭蓋内出血ではなく、民家の軒先で錯乱状態になり自ら壁や地面に激突したことで生じる「擦過傷・打撲痕」に合致する。
- 致死原因:直接の死因は暴行ではなく、大量の覚醒剤服用による急性心不全・肺水腫(肺に水が溜まり呼吸困難に陥る現象)。
傷の凄惨さがビジュアルとして世に出回ったこと、そして遺書の存在が遺族の意向で隠されていたことが、結果として数々の陰謀論を生み出す土壌となってしまったのです。