拿捕された漁船員たちを待ち受けていたのは、異国の地での非人道的な抑留生活でした。連行された乗組員の多くは、韓国側の法的手続きにおいて「密航」や「領海侵犯」の容疑で形式的な裁判にかけられ、数ヶ月から数年の実刑判決を受けて釜山刑務所などの施設に収監されました。
当時の生存者や関係団体の記録、抑留体験者の手記には、凄惨を極める収容環境が生々しく記されています。
「真冬の寒さの中、暖房設備など一切ない板張りの雑居房に詰め込まれ、薄い煎餅布団が数枚あるだけ。食事は南京米にわずかな麦が混ざったものと、具のない塩辛いスープのみで、常に飢餓状態に置かれていた」
「衛生状態は極めて悪く、ノミやシラミが体中に湧き、赤痢や肺結核などの伝染病が蔓延しても十分な治療は施されなかった。刑務官からの暴力や罵倒は日常茶飯事だった」
刑期が満了しても、日本へ即座に送還されるわけではありませんでした。韓国政府は拘束した日本人漁師を、日韓交渉における極めて有利な「外交カード(人質)」として利用したのです。日本政府に対して在日韓国人の法的地位の承認や、日本国内に収容されていた韓国人密入国者・重罪犯の釈放を迫る材料として使われました。祖国で待つ家族たちは夫や父親の安否すら分からず、困窮を極めた生活の中で帰還を祈り続けるしかありませんでした。