朝廷からの申し入れに対し、老中・松平定信が妥協を一切許さず猛反対した理由は、単なる意地やプライドではありません。そこには、幕府の統治機構を根底から揺るがしかねない2つの深刻な危機感がありました。
第1の理由は「厳格な先例主義と身分秩序の維持」です。定信が推し進めていた寛政の改革の根幹は、朱子学の正統論に基づき、祖法と前例を厳格に順守することでした。日本史を振り返っても、皇位に一度も就いていない皇族に太上天皇の尊号を贈った確固たる前例は極めて乏しく、定信はこれを「名分を乱す悪しき前例」と捉えたのです。
第2の理由こそが、幕府内部に直結する最大の懸念でした。当時、第11代将軍・徳川家斉もまた、一橋徳川家から養子として将軍位を継いでおり、その実父である一橋治済(ひとつばしはるさだ)が存命していました。もし光格天皇が実父に太上天皇の尊号を贈ることを認めれば、治済に対しても「大御所」の尊号や破格の特権を与える要求が幕府内で噴出することは明白でした。
財政危機に直面していた幕府にとって、実権を持たない将軍実父の身分昇格に伴う莫大な儀礼費用や政治的混乱は、何としても阻止しなければならない火種だったのです。