華々しい受賞歴とは裏腹に、田中美佐子本人が後年のトーク番組やインタビューで明かした撮影秘話は、極めて切実かつ過酷なものでした。
当時、所属事務所や現場スタッフからは「胸までは出さない」「シルエット中心の綺麗な撮り方をする」と説明を受けていたものの、いざクランクインすると現場の空気は一変。「映画を良くするためには脱いでもらわなければ困る」と監督から強硬に要求され、逃げ場のない状況に追い込まれたといいます。
彼女は当時の心境について、自著や回想特番などで次のように赤裸々に語っています。
「カメラの前で脱ぐのが嫌で嫌で、撮影前夜はずっと泣いていました。現場に入ってもスタッフ全員の前で裸になる屈辱感と恐怖で身体が震え、OKが出た瞬間に毛布にくるまって涙が止まらなかった」
昭和50年代の日本映画界では、商業的成功と芸術性を名目に、若い女性キャストへ事前の合意を超えた露出を強いるパワー構造が日常的に存在していました。田中美佐子自身、映画の完成度や受賞には感謝しつつも、精神的には深いトラウマを負い、一時は芸能界引退すら真剣に考えたと振り返っています。