教科書のイラストなどで広く親しまれてきた貫頭衣の歴史的イメージですが、近年の繊維片分析や中国側の史料照合により、女性たちの服装文化ははるかに豊かで色彩的なものであったことが実証されています。
布の中央に穴を開けて頭を通すシンプルな貫頭衣は、主に労働着や下層階層の基本服として用いられていた一方、首長層や祭祀階層の女性は、前合わせの着物状衣服や、細帯でウエストを締めるツーピース構造の衣服を着用していました。素材も麻(大麻や苧麻)だけでなく、茜(あかね)や紫根(しこん)で鮮やかに染色された絹織物が出土しています。
女性たちの身だしなみを決定づけたのが、精緻な装身具や勾玉の数々です。翡翠(ヒスイ)や碧玉(へきぎょく)で削り出された勾玉、ガラス製の管玉、さらには南シナ海産のゴホウラ貝を加工した貝輪(ブレスレット)は、単なる美意識の産物にとどまらず、呪術的な防護力と政治的ステータスを可視化する最強のアイテムでした。
さらに注目すべきは、入れ墨・刺青(黥面・文身)の風習です。『魏志倭人伝』などの記録にもある通り、身体や顔面に刻まれた幾何学模様は、海の魔物や災厄を避ける呪術的な意味とともに、自身が属する家系や階層を明示する神聖な証として重用されていました。
当時の女性の髪型については、木製や骨製の櫛(くし)を用いて頭頂部で束ねる「椎結(つちゆび)」や、左右に振り分けて結うスタイルなどが見られ、赤色顔料(水銀朱)で装飾された櫛を髪に挿すことで邪気を払う儀礼的化粧が施されていました。