学年が1つ上であるはずの出川哲朗が、なぜ内村光良と同級生になったのか。その理由は、出川哲朗の高校卒業後の進路にあります。
横浜の高校を卒業した出川哲朗は、当初から役者を志していたものの、実家の家業(海苔問屋)や将来を見据え、高校卒業後は京都や兵庫県尼崎市の料亭で料理人修行をしていました。しかし「やはり俳優になりたい」という熱い情熱を捨てきれず、約1年間の修行生活を経て、映画監督の今村昌平が創設した日本映画学校(現・日本映画大学)演劇科を受験し入学します。
一方の内村光良は、熊本県立人吉高校を卒業後、ストレートで同校に入学しました。この1年のタイムラグによって、2人は演劇科の第9期生(同期生)として奇跡的な出会いを果たします。同じ教室には、のちにウッチャンナンチャンとしてコンビを組む南原清隆や、実力派俳優として活躍する入江雅人も在籍していました。
卒業後の1987年、出川哲朗を座長(リーダー)として、内村光良、南原清隆、入江雅人ら同期の仲間たちで結成されたのが「劇団SHA・LA・LA(劇団SHALALA)」です。当時、脚本・演出を主に手掛けていたのが内村光良であり、舞台上で体を張って観客の爆笑をかっさらっていたのが出川哲朗でした。現在テレビで見られる2人の絶妙なフォーメーションは、この下積み時代の小劇場演劇の中で完全に確立されたものです。