メンデルスゾーンが遺した『無言歌集』全48曲(生前出版の第1巻Op.19b〜第6巻Op.62、没後出版の第7巻Op.85・第8巻Op.102)は、一見すると中級者向けのロマン派小品集という単一のカテゴリーに括られがちです。しかし実態は、ソナチネアルバムを終えたばかりの学習者が無理なく表現力を磨ける易しい楽曲から、音大ピアノ専攻生がリサイタルで技巧の冴えを誇示する難曲まで、驚くほど広いダイナミックレンジを持っています。
国内の音楽教育現場で広く指標とされるツェルニー30番レベルを基準に置くと、全48曲の難易度構造は明確に3つの層へ分かれます。
まず、無言歌集初心者向けとして最初に手に取るべき楽曲群は、ゆったりとしたテンポでポリフォニーの基礎を学べるグループです。代表格である第1巻6曲目の「ヴェネツィアの舟歌 第1(Op.19-6 ト短調)」や、第2巻3曲目の「慰め(Op.30-3 ホ長調)」、第8巻6曲目の「信仰(Op.102-6 ハ長調)」は、打鍵の速度よりも響きのバランス調整が主眼となります。ツェルニー30番の1番〜10番前後を練習している学習者であれば、譜読みで立ち往生することなくロマン派特有の歌心を表現する喜びを実感できます。
これに対し、無言歌集における最難関の頂点に君臨するのが、第6巻4曲目の「紡ぎ歌(Op.67-4 ハ長調)」です。目にも留まらぬプレストのテンポの中で、左右の均質なレガートと軽やかなスタッカートを数分間維持し続ける無窮動(ペルペトゥウム・モビーレ)の技術が要求されます。この楽曲はヘンレ版難易度レベル6〜7、全音ピアノピースでは上級(E)にランク付けされており、ツェルニー40番から50番、あるいはショパンのエチュード(Op.10やOp.25)に足を踏み入れたレベルの筋力と脱力技術がなければ、途中で腕が硬直してしまう難曲です。