財津和夫の音楽キャリアを語る上で欠かせないのが、初期の大ヒット曲「心の旅」にまつわる苦渋の決断です。デビュー以来ヒットに恵まれず、「次のシングルで結果が出なければ契約解除」という背水の陣で財津が書き上げたのがこの曲でした。当然、作詞・作曲を手掛けたリーダーの財津自身が歌う予定でレコーディングが進められていました。
しかし、当時のプロデューサーやレコード会社幹部が下した判断は、「メインボーカルを甘いルックスと爽やかなハイトーンボイスを持つ姫野達也に交代させる」という非情な指令でした。自負とプライドを傷つけられた財津は激しい屈辱を味わいましたが、「バンドを存続させ、世に知らしめるためにはこれしかない」と涙を呑んで承諾。結果として「心の旅」はオリコン1位に輝き、チューリップは一躍トップバンドの仲間入りを果たしました。このときの「作家としての客観性」と「歌い手としての悔しさ」の葛藤が、財津を単なるロック歌手から、冷徹なまでに完成度を追求する偉大なメロディメーカーへと成長させたのです。
その職人技が遺憾なく発揮されたのが、1980年代の松田聖子への楽曲提供でした。作詞・松本隆、作曲・財津和夫のコンビが生み出した「白いパラソル」「夏の扉」「野ばらのエチュード」「チェリーブラッシュ」などの名曲群は、従来の歌謡曲にはなかった瑞々しい洋楽的コード進行と跳ねるようなリズムを提示しました。「夏の扉」の印象的なイントロやフレーズは、財津がビートルズから学んだポップセンスを惜しみなく注ぎ込んだ結果であり、アイドル歌謡とニューミュージックの垣根を完全に取り払う決定打となったのです。