長年にわたり「忽然と消えた謎の文明」と語り継がれてきたマヤ文明ですが、近年の古気候学および考古学の学際的調査により、そのマヤ遺跡の滅亡理由は極めて現実的かつ複合的な破局プロセスであったことが実証されています。古典期マヤ(西暦250年〜900年頃)の終焉をもたらしたのは、自然の猛威と人類の自滅的行動が重なり合った環境危機でした。
鍾乳石や湖沼堆積物の同位体分析調査によると、9世紀から10世紀にかけてユカタン半島周辺を100年単位の未曾有の大干ばつが断続的に襲いました。当時、都市人口の急増に伴い、焼き畑農業の拡大や漆喰(ピラミッドや神殿の白壁を塗るための石灰石加熱材)の大量製造を目的に、周辺の原生林が無計画に伐採されていました。森林の消失は局地的な蒸発散量を著しく低下させ、結果として干ばつを人為的に悪化させる悪循環(フィードバックループ)を形成したのです。
食糧供給基盤と水資源が枯渇した都市国家間では、生き残りをかけた凄惨な戦争が勃発しました。神聖なる王(クフル・アハウ)への求心力は失墜し、民衆の離反と都市放棄が連鎖していきました。重要な事実として、マヤの人々が生物学的に絶滅したわけではありません。中央集権的な都市システムが崩壊した後、人々は水源を求めて小規模な集落へと分散移住し、その直系の子孫約600万人以上が今もメキシコ南部やグアテマラで自らの言語と伝統を受け継いで暮らしています。