「早起きは三文の徳」というフレーズは、どのような歴史的経緯を経て誕生したのでしょうか。語源の調査を進めると、主に3つの有力な説が浮き彫りになります。とりわけ有名なのが、奈良の鹿をめぐる過酷な掟にまつわるエピソードです。
1. 奈良の鹿と「過怠料三文」の知恵比べ
古来、春日大社の神鹿(しんろく)として手厚く保護されてきた奈良の鹿。江戸時代の記録によると、神鹿を傷つけたり殺めたりした者には厳しい刑罰が科され、たとえ過失であっても「三文の罰金(過怠料)」が徴収されたと伝えられています(重罪の場合はさらに苛烈な処罰が下された記録もあります)。 万が一、夜の間に自宅の門前で鹿が死んでいた場合、その家の住人が罪に問われてしまいます。そこで奈良の町人たちは、「毎朝誰よりも早く起きて門前を確認し、もし鹿が倒れていれば隣の家の前にそっと引きずって移動させた」というのです。早起きをすれば三文の罰金を払わずに済む――これが転じて「早起きは三文の得(徳)」になったという俗説です。真偽には諸説あるものの、当時の町人文化のしたたかさとユーモアを今に伝える伝承として語り継がれています。
2. 治水政策における「堤防の土踏み」報奨金説
もう一つの有力説は、河川の氾濫に悩まされていた江戸時代の治水事業に由来します。川の堤防を頑丈に保つためには、大勢の人間が歩いて土を固める「土踏み(つちふみ)」が不可欠でした。 そこで藩や奉行所が、朝早く起きて堤防を歩き、土を踏み固めてくれた庶民に対して「ご褒美として毎朝三文の駄賃を支給した」という記録が残されています。早朝の散歩がてらに堤防を踏み固めるだけで、毎日確実に三文の現金が手に入る。これが庶民の間で「早起きは三文の徳」として定着したという、実益に裏打ちされた説です。
3. 古代中国の故事文言からの伝来説
学術的な見地から最も信憑性が高いとされるのが、中国の古典文学に起源を求める説です。宋代の詩文や俚諺(りげん)に、次のような言葉が残されています。 「早起三朝当一工(早く起きること三朝なれば、一工に当たる)」 「朝早く起きることを3日続ければ、丸一日分の労働量に匹敵する仕事ができる」という意味です。この合理的な勤勉思想が中世から近世にかけて日本に輸入され、当時の日本の通貨単位であった「三文」という親しみやすい言葉と結びつき、現在の形に洗練されたと考えられています。