2002年11月21日午後、東京都港区のカナダ大使館にあるスカッシュコートで、突然の事態が発生しました。憲仁親王は日常的に親しんでいたスカッシュの練習中、ラリーの合間に何の前触れもなく意識を失い、コート上に仰向けに倒れ込まれました。
現場にいた関係者や駆けつけた救急隊による懸命な心肺蘇生措置が行われ、直ちに慶應義塾大学病院へと緊急搬送されました。しかし、病院到着時にはすでに心肺停止の状態であり、人工心肺装置を取り付けて夜を徹した懸命の救命治療が続けられたものの、翌11月22日未明、蘇生することなく薨去(こうきょ)が確認されました。高円宮憲仁親王の死因は、心臓の筋肉が無秩序に痙攣(けいれん)して血液を送り出せなくなる致死性の不整脈、心室細動(しんしつさいどう)による心不全でした。
直前まで至って健康であり、精力的に公務をこなしていた47歳の若きプリンスの死は、日本中に大きな動揺をもたらしました。なぜ持病もなかった宮さまが突然心停止に陥ったのか。当時の医学的見解では、潜在的な冠動脈の異常や心筋の微細な変性、あるいは激しい運動による自律神経の急激な変動など複数の要因が推測されたものの、解剖が行われない皇室の慣例もあり、決定的な一次要因を特定することはできませんでした。
この痛ましい急逝は、日本の救急医療体制に大きな転換点をもたらすことになります。当時は医療従事者しか使用が認められていなかった自動体外式除細動器(AED)について、「もしあの場にAEDがあり、一般人が即座に使用できていれば命を救えたのではないか」という議論が巻き起こったのです。憲仁親王の死を契機に法改正が進み、2004年7月には一般市民によるAEDの使用が正式に解禁されました。尊い命の喪失は、その後の数え切れない人命を救う礎となっています。