1968年12月10日、ストックホルムのコンサートホールで開催された授賞式において、川端康成は紋付羽織袴の正装で登壇しました。燕尾服が通例であった式典において、日本の伝統装束を纏ったその凛とした佇まいは、世界各国のメディアによって大々的に報じられました。当時の現地特派員の報道によると、国王グスタフ6世アドルフからメダルと賞状を授与された川端の静謐な眼差しは、会場全体を厳粛な空気に包み込んだと伝えられています。
授与された賞金は、当時のスウェーデン・クローナ換算で約25万クローナ、日本円にして当時の約2,500万円(消費者物価指数や土地価格換算で現在価値約7,000万〜1億円超に相当)という巨額なものでした。この賞金の使い道について、川端は私利私欲の蓄財に回すことは一切ありませんでした。
川端は賞金の大部分を、自身が生涯をかけて情熱を注いだ国宝級の古美術品(浦上玉堂筆『凍雲篩雪図』など)の購入費用や、日本ペンクラブ会長としての国際交流事業、後進の若手作家たちの育成基金へと充当しました。美を愛し、美に殉じた作家らしい潔い使途であったといえます。
しかし、日本人初の栄誉は、静寂を愛した老作家の日常を容赦なく破壊しました。連日押し寄せるマスコミの取材攻勢、世界中からの招待状、揮毫や講演の依頼は膨大な数に達し、執筆時間は完全に奪われていきました。自著や親しい編集者への手紙の中で、川端は「名誉の重荷」「受賞によって自らの作家生命が削られていく」という痛切な告白を遺しています。名声の絶頂は、皮肉にも巨匠を精神的孤立へと追い込んでいく序曲となったのです。