大久野島のうさぎ激減の真相とは?歴史と2026年現在の生息状況を解説

大久野島のうさぎ激減の真相とは?歴史と2026年現在の生息状況を解説

大久野島のうさぎ激減の真相とは?歴史と2026年現在の生息状況を解説について押さえておきたい ポイントを厳選して解説いたします。

島を訪れた観光客が抱く最大の疑問が、「なぜこの無人島にこれほど大量のうさぎが繁殖しているのか」という点です。巷では「戦時中の毒ガス実験に使われた個体が生き延びて繁殖した」という都市伝説が根強く語られますが、歴史的事実は全く異なります。

毒ガス実験動物の悲劇と「生物学的無関係」の証拠

昭和初期から第二次世界大戦終結まで、大久野島には旧日本陸軍の毒ガス製造工場が置かれていました。イペリット(びらん剤)やルイサイトなどの化学兵器が極秘裏に製造され、軍事機密保持のため当時の陸地測量部が発行する地図上から島の存在そのものが消去されたため、大久野島は「地図から消された島」と呼ばれました。 当時、毒ガスの効力測定や作業現場のガス漏れ検知用として、確かに島内では多数のウサギやモルモットが飼育されていました。しかし、1945年8月の終戦後、進駐軍(GHQ)の査察と毒ガス兵器の廃棄処理に伴い、実験用ウサギはすべて殺処分されました。 長年毒ガス製造に従事し、戦後に大久野島毒ガス資料館の初代館長を務めた村上初一氏の手記や証言録においても、実験用ウサギが野に放たれた事実は一切なく、敗戦の混乱の中で島からうさぎの姿は完全に消え去ったことが明確に記録されています。

1971年、本土の小学校から持ち込まれた「8羽」の奇跡

では、現在のうさぎたちはどこからやって来たのでしょうか。記録によると、直接のルーツは戦後26年が経過した1971年(昭和46年)に遡ります。 当時、国民休暇村(現・休暇村大久野島)として観光開発が進められていた島を訪れた地元・竹原市内の小学校が、学校で飼育しきれなくなった8羽のアナウサギを島に放したことが発端です。 外敵となるキツネや野犬、タヌキが一切生息せず、瀬戸内特有の温暖少雨な気候に恵まれた大久野島は、地中に複雑な巣穴を掘って暮らすアナウサギにとって理想郷でした。うさぎは生後数か月で繁殖可能となり、1回の出産で数羽から十羽近くを産み落とします。天敵の不在と観光客によるエサやりが追い風となり、わずか半世紀足らずで数百羽から1,000羽規模へと爆発的な増殖を遂げたのです。

小林 直樹
著者

小林 直樹

シンプルで洗練された住まいづくりとインテリアコーディネートのアイデアを提案しています。