いくえみ綾の最高傑作の一つとして名高いのが、オムニバス形式で紡がれた長編『潔く柔く』です。幼なじみを突然の事故で失った主人公・瀬戸カンナをはじめ、それぞれに過去の傷や喪失感を抱えた登場人物たちが、少しずつ他者と関わりながら再生へと向かっていく姿を描き出しました。
特筆すべきは、劇的な事件そのものよりも「残された人間の日常が淡々と続いていく残酷さと救い」を浮き彫りにした点です。作中に登場する印象的なモノローグやセリフは、読者の心に深く刺さる名言として現在も語り継がれています。
「泣いてもいいけど、立ち止まるな」といった安易な励ましではなく、「悲しい感情ごと抱えて今日をやり過ごす」という等身大のリアリズムこそが、彼女の作品に宿る最大の強みです。登場人物同士の視線が合わないコマ割りや、言葉の裏にある沈黙を丁寧に描くことで、読者は登場人物の感情を自身の人生体験と重ね合わせることになります。