六麓荘町の歩みは、昭和初期の1928年(昭和3年)に遡ります。大阪財界の重鎮であった内藤秀吉氏や伊藤長兵衛氏らによって設立された「六麓荘開発組合」が、香港の高級住宅地「ビクトリアピーク」の美しい景観と都市構想にインスピレーションを受け、原生林が生い茂る約12万坪の山林を切り拓いたことが六麓荘町の歴史・成り立ちの原点です。「東洋一の住宅地を創出する」という壮大な理想のもと、天然の地形を活かした道路設計と広大な宅地区割が行われました。
この街の品格を支え続けているのが、全国的にも類を見ない厳格な法規制と自主協定です。芦屋市が制定した「芦屋市住みよいまちづくり条例」および住民組織による「六麓荘町建築協定」により、宅地に関する鉄の掟が敷かれています。
第一に定められているのが、敷地面積の最低基準です。六麓荘町内では、土地の細分化を防ぐために敷地面積400平方メートル(約121坪)以上でなければ新たな建築が認められません。実際の敷地は300坪から1,000坪超に及ぶ区画が大半を占めており、ミニ開発や狭小住宅の乱立を物理的に遮断しています。
さらに、建築物の高さは地上2階建て以下(高さ10メートル以下)に制限され、地階を含めても周辺の眺望や日照を損なわない設計が義務付けられています。敷地に対する緑化率の基準も厳しく設定されており、敷地面積の30〜40%以上を緑地や庭園として維持しなければなりません。これらの建築協定・ルールが強固に機能しているからこそ、芦屋市六麓荘町の豪邸群は広大な庭園と重厚な石垣に包まれ、100年近くにわたりその圧倒的なスケールを維持しています。