エイベックスから歌姫として覚醒する前、彼女は地元・福岡から上京し、サンミュージックに所属するジュニアアイドル・タレントとして芸能活動を行っていました。当時の芸名は「浜崎くるみ」、のちに本名の「浜崎歩」名義で活動し、テレビドラマ『ツインズ教師』や『未成年』などに出演。グラビアや女優業をこなす日々を送っていました。
しかし、事務所の方針と本人が抱く自己表現への欲求には大きな乖離がありました。自著や後年のドキュメンタリー番組において、彼女は当時の心境を「自分が操り人形のように思えて息苦しかった」「学校にも居場所がなく、渋谷の街をさまよっていた」と赤裸々に振り返っています。芸能界引退も考えていた1996年、六本木の巨大ディスコ「ヴェルファーレ」のVIPルームで、運命の出会いを果たします。それが、当時エイベックスの専務を務めていた松浦勝人(現・会長)氏でした。
松浦氏は彼女の類まれな眼差しと芯の強さ、そして孤独を抱えた佇まいに天性のスター性を見出しました。松浦氏の熱烈なスカウトを受け入れた浜崎は、単身アメリカ・ニューヨークへ渡り、過酷なボイストレーニングと語学留学を経験します。この時、松浦氏が彼女に課した最も重要な条件が「歌詞はすべて自分の言葉で書くこと」でした。他人が書いた綺麗事の歌ではなく、思春期の痛みや剥き出しの孤独を手紙のようにノートへ書き殴る作業こそが、のちに平成の若者を熱狂させるリリックの源泉となったのです。