現代に伝わる年越しそばの形式が完成したのは、町人文化が爛漫と花開いた江戸時代中期から後期(18世紀半ば以降)のことです。当時、江戸の町には屋台の夜鷹そばや町場の蕎麦屋が爆発的に普及し、せっかちで縁起を重んじる江戸っ子たちの生活リズムと見事に合致しました。
この時代に加わったもう一つの強力な意味が、「金運上昇」の言い伝えです。当時、江戸や京都の金銀細工師や箔打ち職人たちは、作業場に飛び散った微細な金粉・銀粉を回収するために、練ったそば粉の塊(そばがき)を床や作業台に押し当てて付着させていました。集めたそば粉の塊を水に入れて洗い流し、あるいは焼き払うことで、散らばった貴金属を余すところなく回収できたという職人の知恵が記録に残っています。
この事実から、「そばは金を集める」「金銀を吸い寄せる縁起物」という連想が商人層の間で急速に広まりました。「細く長く資産を保ちつつ、金をかき集めて新年を迎える」という現世利益のシンボルとして、商売繁盛を祈る大店から長屋の庶民に至るまで、大晦日の蕎麦食が決定的な年中行事として定着したのです。