雅子さまが体調を崩され、「適応障害」と診断されて長期療養に入られた2000年代初頭、報道の刃は鋭さを増した。海外訪問の制限、後継者となる男児出産への目に見えない圧力、そして公務の欠席。そうした困難な局面において、完璧な皇太子妃・皇后としての務めを果たし続けていた美智子さまの姿と過剰に比較される機会が増えていった。
「伝統と公務を第一とする美智子さま」と、「自己のアイデンティティと体調の間で苦しむ雅子さま」。この対照的な構図は、メディアにとって格好のドラマとなった。「宮中での孤立」「美智子さまからの厳しいお叱り」といったストーリーが毎週のように消費されたが、実態は二人の個性の対立ではなく、時代遅れとなった皇室のシステムそのものが生み出した軋みだったと言える。