当時のアニメーション映画業界において、既存の歌謡曲ではなく、シンセサイザーとオーケストラ、そして幼女のスキャットを融合させた劇伴を全面的に採用することは極めて異例の挑戦だった。スタジオジブリの前身となる制作現場では、予算やスケジュールの壁が立ちはだかっていた。
原作漫画を連載していた徳間書店のバックアップと、宮崎駿監督の妥協なき芸術的執念、そして久石譲の革新的な音楽センスが見事に結実した瞬間だった。SFファンタジーという重厚な世界観に、あえて幼子のか細いレクイエム(鎮魂歌)を重ね合わせる表現手法は、その後の映画音楽のあり方を劇的に変えたと言われている。