ネット上のグルメブログやSNSで頻繁に語られる最大の誤解が、「朝締めや産地直送の新鮮な鶏肉を選べば生で食べても安全」という認識です。料理人の中ですら「うちは鮮度抜群の地鶏しか使っていないから安心」と胸を張る者がいますが、微生物学の観点から言えばこれは完全な論理破綻です。
カンピロバクターは、鶏が死んだ後に時間経過とともに増殖する「腐敗菌」ではありません。健康なニワトリの小腸や盲腸の中に元から共生している「腸内常在菌」です。どれほど健康で、どれほど朝早くに処理された銘柄鶏であっても、解体処理中に腸内容物が羽毛や筋肉組織にわずかでも接触すれば、その瞬間に肉の表面や筋膜は菌に汚染されます。つまり、新鮮な鶏肉の選び方をもってしても、カンピロバクターの有無を判別したり回避したりすることは原理的に不可能なのです。
また、「ささみは内臓から離れているから無菌」という言説も、現場を知らない机上の空論に過ぎません。解体ラインにおける脱羽機のゴム指による交差汚染、冷却水槽内での水流感染、包丁や作業員の手指を介した二次汚染によって、ささみ肉の表面どころかスジを引いた裂け目にまで菌が侵入することが農研機構や各種学術論文の実証実験で報告されています。
なぜこの危険な誤解が日本社会に定着し続けているのでしょうか。そこには「生に近いほど素材本来の味が活きる」という根深い和食信仰と、「長年このやり方で営業してきた頑固職人の腕を無条件に信奉する」という集団心理が働いています。「これまで自分は当たったことがない」という個人の成功体験は、単にその個体が過去にたまたま無菌だったか、摂取菌数が閾値未満だっただけの偶然に過ぎず、将来の安全を何ら担保する根拠にはなりません。