『文豪ストレイドッグス』の物語中盤で明かされる与謝野晶子の過去は、全編を通じても最も凄惨なエピソードのひとつです。彼女が抱える心の傷の源泉泉流は、14年前に起きた世界大戦の激戦地「常暗の島(とこやみのしま)」での従軍体験にありました。
当時、わずか11歳の少女だった与謝野晶子は、類まれな治癒異能を見込まれ、軍医副官を務めていた森鴎外によって戦地へと連れ出されます。森が掲げた冷徹な軍事構想「不死小隊」。それは、どんな致命傷を負った兵士であっても与謝野の異能で即座に蘇生させ、休むことなく前線へ送り戻し続けるという、人道を完全に度外視した無限の戦闘継続システムでした。
当初、兵士たちは傷を瞬時に癒やす少女を「常暗の島の天使」と崇め、感謝を捧げていました。与謝野自身も、誰かの命を救える自分の力に誇りを抱いていたのです。とりわけ、彼女に蝶の髪飾りを贈り「君は本物の天使だ」と励ましてくれた一人の青年兵卒士との間には、戦火の中の淡い絆が芽生えていました。
しかし、事態は悪夢へと転落します。肉体は何度でも完璧に治癒されるものの、激痛の記憶と死の恐怖、終わらない戦闘によって、兵士たちの精神は急速に摩耗していきました。砕かれた四肢が繋がり、内臓が元に戻るたびに、兵士たちの心は発狂へと向かいます。やがて兵士たちは与謝野を天使ではなく、「死ぬことすら許さない死神」として忌み嫌い、恐怖の眼差しを向けるようになったのです。
決定的な破綻は、あの心を通わせた青年兵卒が「もう治さないでくれ」と懇願し、与謝野の異能で治癒された直後に自ら命を絶った瞬間でした。部屋の壁に残された「君死給勿」の血文字。自分の能力は命を救うためのものではなく、人間を尊厳なき兵器として使い潰すための呪いであったと痛感した彼女の心は、完全に粉砕されました。
終戦後、精神を病んで軍の隔離施設へ幽閉されていた彼女を救い出したのが、後に武装探偵社を立ち上げる福沢諭吉と、若き日の江戸川乱歩でした。乱歩の放った「君は悪くない」という言葉と、福沢の庇護によって、彼女は再び人間としての自我を取り戻し、武装探偵社の専属医として新たな人生を歩み始めたのです。