蕎麦屋のカウンターで板わさを食す際、知らず知らずのうちに周囲から「野暮」と見なされてしまう決定的な所作が存在します。それは、「小皿の醤油に山葵を溶いてしまう行為」です。
刺身などを食べる際にも議論になりますが、板わさにおいて醤油にわさびを溶くのは明確な悪手とされています。わさびの爽やかな清涼感をもたらす揮発性辛味成分「アリルイソチオシアネート」は、塩分を含む濃い液体に溶け込むと急速に揮発・変質し、鼻腔へ抜ける高貴な香りが著しく減衰してしまうからです。醤油の表面に油膜のように濁りが生じ、かまぼこ本来の繊細な白身魚の芳香をも覆い隠してしまいます。
蕎麦通が実践する「最も粋で機能的な食べ方の極意」は、以下のステップに集約されます。
- 箸先で少量の本わさびを取り、かまぼこの上辺に直接チョンと載せる。
- かまぼこの底面(下側の角)だけを、小皿の醤油に2〜3ミリ程度「ちょん」と控えめに浸す。
- わさびが舌に直接触れず、上あごに抜ける向きで口に運ぶ。
この所作を守ることで、舌の上にはまず醤油の塩気と出汁の香りが触れ、続いて奥歯で噛み締めた瞬間に蒲鉾の甘みと旨みが溢れ出し、最後に上あごから鼻孔へ向けて山葵の爽快な辛みが突き抜けます。この三位一体の味覚の立体構造こそ、板わさの真骨頂です。
ここに合わせる日本酒は、淡麗辛口の純米酒や、キレ味鋭い本醸造が王道です。冷酒では引き締まった歯ざわりを爽やかに楽しめ、逆にぬる燗と合わせると蒲鉾の魚肉脂がほんのり温まり、米のふくよかな旨みと調和する極上のペアリングが完成します。