自然と人間の対立という二元論に収まらない本作の厚みは、エボシ御前とジコ坊という大人のキャラクターたちの言葉によって形作られています。
エボシ御前がアシタカの呪われた右腕を見て放った「賢しらにわずかな不運を見せびらかすな」という一言は、彼女の壮絶な生き様を如実に物語っています。彼女が率いるタタラ場は、森を切り拓き神々を撃ち倒す破壊者である一方、当時の社会で見捨てられていたハンセン病患者たちを手厚く看護し、売られた女性たちを買い取って自立した労働の場を与える「ユートピア」でもありました。
自分自身も過酷な地獄を潜り抜けてきたエボシにとって、自らの不運を理由に立ち止まることは許されない甘えに過ぎません。善と悪が不可分に絡み合う近代合理主義の冷徹な強さが、この短いセリフに凝縮されています。
対照的に、世俗の泥沼を飄々と泳ぎ抜くのがジコ坊です。アシタカと粥をすすりながら語る「なんでも食う。天地の間にあるすべてのものを欲する」という言葉は、仏教的無常観とプラグマティズムの結晶です。朝廷の密書を携え、シシ神の首を狙うジコ坊は、アシタカのような純粋な倫理観を「青臭い」と笑い飛ばします。しかし、それは悪意ではなく、「生き延びるためには清濁併せ呑まねばならない」という乱世を生きる庶民の生々しい知恵でした。