「息苦しさも咳もないのに、本当に肺に病気があるのか?」という疑問に対する回答は、肺という臓器の解剖学的構造にあります。人間の肺において、酸素と二酸化炭素のガス交換を行う「肺実質(肺胞組織)」には、痛みを感じる知覚神経(痛覚受容器)が通っていません。痛覚や強い咳反射を司る神経は、太い気管支の粘膜や、肺の表面を覆う「胸膜(肋膜)」、そして胸壁周辺にのみ集中しています。
これこそが、肺がん初期症状なしの理由であり、他の呼吸器疾患でも症状が出にくい根本原因です。病変が肺の奥深く(末梢の肺野)に発生した場合、それが仮に早期の肺がんであろうと、過去の炎症の痕跡であろうと、神経を直接刺激しません。腫瘍が数センチ以上の大きさに育って気管支を塞いだり、胸膜を破って外側の壁に浸潤したりして初めて、頑固な咳、血痰、胸痛といった自覚症状が現れます。「痛くないから病気ではない」という感覚は、肺に関しては完全に通用しないのです。
さらに、健診で行われる胸部X線(レントゲン)は、胸全体を正面から1枚の平面画像として撮影する簡便なスクリーニング検査です。骨(肋骨や鎖骨)、心臓、大血管、横隔膜など、さまざまな臓器が平面的に重なり合って写し出されます。その重なりの中にわずかな濃度の濃淡(白っぽい影)が生じるだけで、機械や読影医は安全マトリクスに則り「異常所見」として拾い上げます。つまり、自覚症状が何一つない段階で影として発見されること自体、検診システムが正常に機能している証拠でもあります。