事故リスクと並んで深刻化しているのが、歩行者同士の感情的な摩擦です。SNS上での投稿やQ&Aサイトの書き込みを分析すると、歩きイヤホンに対する非難は単なる安全論にとどまらず、「マナーと配慮の欠如」に対する強い憤りとして噴出しています。
「後ろから『すみません、通してください』と何度声をかけても完全に無視される」「狭い歩道の真ん中をフラフラ歩いていて、追い抜こうとすると急に軌道を変えてぶつかりそうになる」「ぶつかった瞬間にこちらを睨みつけてくるが、音を遮断している側の自覚がない」といった実体験に基づく愚痴や告発は後を絶ちません。街中での接触トラブルから口論や暴力沙汰に発展し、警察沙汰になる事案も都市部で日常茶飯事となっています。
なぜ、これほどまでに批判されながらも、人々は街中で耳を塞ぎ続けるのでしょうか。都市社会学や環境心理学の知見を紐解くと、そこには過密な都市環境における「心理的カプセル化(個人シェルターの構築)」という現代人特有の防衛本能が見て取れます。
大都市の街頭は、電車の走行音、大型ビジョンの広告音声、無数の人々の雑踏、工事の騒音など、処理しきれない膨大な聴覚情報で溢れ返っています。過剰なストレスと情報過多に晒された現代人は、イヤホンを装着して好みの音楽やポッドキャストという「予測可能で心地よい音」で耳を埋め尽くすことにより、物理的な混雑の中に自分だけのパーソナルスペース(心理的テリトリー)を作り出そうとします。本人にとっては「外界のストレスから身を守る正当防衛」の感覚であっても、外側の第三者から見れば「社会的なコミュニケーションや危険回避の合意を一方的に破棄した自己中心的な振る舞い」と映るため、両者の間で激しい心理的断絶が生じるのです。