Mrs. GREEN APPLEの破竹の快進撃に対して、一部のネット言説では「メディア露出と大型タイアップの力でヒットしているだけではないか」「商業主義に寄りすぎている」という冷ややかな見解が散見されることも事実です。しかし、音楽構造や制作体制の実態を詳細に検証すると、この批判が的外れである実態が浮かび上がります。
第一の盲点は、彼らの楽曲における「編曲(アレンジ)の異常な緻密さ」です。大森元貴が自らDTM(デスクトップミュージック)を駆使して打ち込むデモ音源の段階で、ストリングスやブラスの細かなアーティキュレーション、ベースラインの動きまでほぼ完成形に作り込まれています。大森の頭の中にある壮大な音像を、ギターの若井滉斗、キーボードの藤澤涼架が極限の生演奏技術で具現化しており、単なる流行の打ち込みトラックとは一線を画すアンサンブルの厚みを有しています。
第二に、「タイアップがあるから売れる」のではなく、「タイアップ先の作品世界を解剖し、劇中のキャラクター以上に深く人間の真理を抉り出すからこそ、作品ファンをも巻き込んで定着する」という因果の逆転が存在します。アニメ『忘却バッテリー』のテーマとなった「ライラック」では、挫折と再生という泥臭い青春の痛みをストイックなバンドサウンドで表現し、映画『ラーゲリより愛を込めて』の「Soranji」では、極限状態における人間の祈りを神聖なまでのボーカルで表現し尽くしました。
安易なタイアップ消費に終わらず、楽曲単体として何年後も聴き続けられる芸術性を宿しているからこそ、タイアップ終了後も再生回数が右肩上がりに伸び続けるのです。