ネット上や大衆誌では、山田五十鈴の「4度の結婚と離婚」がスキャンダラスに語られがちですが、その実態は単なる奔放さではなく、「女優としての自立と妥協なき職業意識」の帰結であったという点がしばしば見落とされています。
当時の日本の映画界において、女性が映画監督やプロデューサーと対等に渡り合い、自身の劇団やプロデュース組織を立ち上げて作品作りに介入することは異例中の異例でした。彼女がパートナーに選んだ男性たちは、いずれも映画人や舞台俳優など創作の現場を共にする表現者ばかりでした。しかし、家庭内における「良妻賢母」の役割と「表現の極致を追求するトップ女優」の生活は両立が難しく、芸に没入するあまり結婚生活が破綻するというサイクルを繰り返しました。
後年のインタビューで彼女は「自分には芝居しか残らなかった」と述懐しており、私生活の平穏を犠牲にしてでも舞台と銀幕に命を注ぎ込んだ、凄絶な職人気質が浮き彫りになっています。