生徒たちへの取材や教育現場の聞き取りを行うと、「自分にはドラマチックな体験なんて何もない」「差別なんて身の回りにない」という声が驚くほど多く寄せられます。しかし、これは題材が存在しないのではなく、日常の違和感を「当たり前の風景」として見過ごしているに過ぎません。
過去に大きな反響を呼んだ手記や入賞作文の書き手たちは、誰もが経験するような何気ない会話のズレを見逃さずに記録していました。たとえば、ある受賞者は次のような独白を作文に刻んでいます。
「コンビニで働く外国人の店員さんに対し、タメ口で乱暴にお釣りを要求した大人の姿を見たとき、私は何も言えずに下を向いた。差別をしていたのはその大人だけではない。心の中で『かわいそうに』と同情しながら、トラブルに巻き込まれたくないと足早に店を出た私自身もまた、冷酷な差別の共犯者だったのだ」
この記述にあるのは、高邁な思想ではなく、自分自身の保身に対する悔恨です。ネットの掲示板や知恵袋を見ても、「何を書けばいいかわからない」と嘆く生徒の大半は、立派な主人公を演じようとして筆を止めています。題材選びに必要なのは、格好いい自分ではなく、「あのとき喉に刺さった小骨のような違和感」を思い出す作業です。