「あれだけの大投手なら、高校時代も全国放送で連日取り上げられていたはずだ」と誤解されることも少なくありません。しかし現実には、山本由伸の高校時代に甲子園出場の記録はゼロです。聖地への切符をかけた戦いにおいて、宮崎大会の厚い壁が幾度となく立ちはだかりました。
入学当初の球速は120キロ台後半から130キロ前後であり、決して入学時から全国区の怪物だったわけではありません。しかし、無駄な力感を徹底的に排除する身体操作と地道な体幹強化が実を結び、球速は右肩上がりに上昇します。高校1年秋には140キロの大台を突破し、高校2年の夏には147キロ、そして高校3年夏の宮崎県大会直前にはスカウトのスピードガンで最速151キロを叩き出すまでに進化を遂げました。
しかし、勝負の世界は残酷でした。2年夏の宮崎大会は決勝で宮崎日大に敗れて準優勝。3年夏の宮崎大会では、3回戦で強豪・富島高校と対戦し、相手エースとの投げ合いの末に0-2で惜敗。甲子園の舞台に一度も立てなかった悔しさは計り知れませんでしたが、この地方予選での挫折こそが、プロ入り後の飽くなき向上心と冷静沈着なマウンドさばきの原動力となったのです。