インターネット上の掲示板やSNSでは、歴史的ドラマや映画の演出をそのまま史実と誤認した言説が散見される。クラシック音楽史における2大誤解を検証し、事実の輪郭をクリアにしておこう。
誤解1:サリエリはモーツァルトの才能を嫉妬して破滅させた?
映画の劇的な演出によって「凡庸な宮廷楽長が天才を憎悪した」というイメージが定着してしまったアントニオ・サリエリだが、実態は全く異なる。当時のウィーン宮廷においてサリエリは皇帝ヨーゼフ2世から絶大な信任を得ていたトップ音楽家であり、オペラ作曲家としての社会的地位も経済的成功もモーツァルトを大きく上回っていた。
さらに重要なのは、サリエリが高潔な教育者であったという事実だ。彼は貧しい才能ある若者を無償で指導しており、門下生にはベートーヴェン、シューベルト、リストといった後のロマン派を担う錚々たる面々が名を連ねていた。ベートーヴェンは師であるサリエリに自作のヴァイオリンソナタを献呈しており、モーツァルト自身も生前の手紙でサリエリがオペラ『魔笛』を観劇して惜しみない賛辞を送ってくれたことを誇らしげに記している。
誤解2:バッハは生前まったく無名で評価されていなかった?
「バッハは死後100年間完全に忘れ去られ、不遇のまま生涯を終えた」という言説も正確ではない。確かに、バッハの死後は急速に音楽の流行が「軽快で明快な古典派様式」へとシフトしたため、彼の複雑な対位法音楽は「古臭い職人芸」として一般のレパートリーから外れたのは事実である。
しかし、当時のプロ音楽家たちの間では極めて高い評価を維持していた。若き日のモーツァルトはバッハのモテットを聴いて衝撃を受け、そのスコアを貪るように筆写した。ベートーヴェンもまた幼少期から『平均律クラヴィーア曲集』を完璧に弾きこなしていた。一般市民への再提示という点では、1829年に20歳のフェリックス・メンデルスゾーンがバッハの最高傑作『マタイ受難曲』をおよそ100年ぶりに蘇演したことで爆発的なバッハ・ルネサンスが起きたが、「専門家の間では常に伝説の巨匠として受け継がれていた」というのが音楽史の真実である。