村上虹郎の幼少期から思春期にかけての生い立ちは、一般的な芸能人の子どもが通う都心のエリートコースとは対極に位置する、極めてオーガニックかつ個性的なものでした。
母・UAは息子の教育において、人智学に基づき子どもの創造性や自然との調和を重んじる「シュタイナー教育」を選択しました。家庭内にはテレビやゲームといった電子メディアを置かず、自然素材の玩具やアート、読書、そして音楽に囲まれる環境を徹底。この独自の教育方針により、幼少期の村上虹郎は母親が全国区の超有名歌手であることすら明確には認識していなかったと、後のメディアインタビューで明かしています。
その後、2010年の自宅火災や2011年の東日本大震災を契機に、UAは家族の食と安全、自然との共生を求めて拠点を沖縄県へと移します。大自然のなかで感性を育んだ村上虹郎は、中学卒業後にさらなる広い視野を求めてカナダ・モントリオールへの単身留学を決意しました。
異国の地で言語と多様な文化を吸収していた高校留学中、人生の転機が訪れます。映画監督・河瀬直美が新作映画の主演を探していた際、父・村上淳や母・UAの推薦もあり、モントリオールにいた村上虹郎へ出演のオファーが届きました。これが2014年の映画『2つ目の窓』での俳優デビューとなり、カンヌ国際映画祭のコンペティション部門への出品へとつながっていきました。