インターネット上で熱狂的な支持を集める一方で、常に「作為の影」がつきまとうラブ上等。結論から申し上げれば、テレビドラマのような一言一句を役者に読ませる脚本(ペラ台本)が存在するわけではありません。しかし、視聴者が抱く「これは作り物ではないか」という違和感は、完全に的外れとも言えない構造的な理由があります。
映像制作の現場取材を進めると、番組側が用意しているのは厳密なセリフではなく、「この場所で、彼に対して過去の因縁を問い詰める」「二人きりになった段階で、好意を匂わせる問いかけを投げる」といった行動の動機づけを行うプロット(構成メモ)です。出演者は台詞を暗記しているのではなく、ディレクターから課された「ミッション」を遂行する形でカメラの前に立っています。
ドキュメンタリーを標榜しながらも、視聴率やインプレッションを極大化するために感情の起伏を人工的に作り出す手法は、近年のネット配信番組で常態化しています。視聴者が直感的に覚えた「やらせ感」の正体は、完全な嘘ではなく、巧みにデザインされた感情の誘導と過激な編集の産物であったと捉えるのが、取材を通じて見えてきた最も確からしい事実です。