大久野島はかつて、日本陸軍の毒ガス製造工場が置かれた軍事機密の地であった。1929年から終戦にかけて、イペリットやルイサイトといった恐ろしい化学兵器が密かに大量生産され、当時の地図からは島そのものの存在が消し去られていた。
現地に建つ大久野島毒ガス資料館には、工場で働かされ健康被害に苦しんだ労働者たちの生々しい記録が保存されている。とりわけ、毒ガス障害者運動に尽力した前田勝之助をはじめとする関係者の貴重な証言は、戦争の悲惨さと国家機密の影を今に伝える。発電場跡や砲台跡の赤煉瓦には銃弾や経年劣化の傷跡が残り、楽園の佇まいとは対照的な重厚な静寂を漂わせている。