山梨土産の代名詞である信玄餅を語る上で、避けて通れないのが「元祖争い」に関するネット上の諸説です。大手検索サイトの知恵袋や掲示板では「どちらが本家でどちらが真似をしたのか」といった二項対立の議論が散見されますが、商標登録原簿や山梨の菓子史を紐解くと、より重層的な真実が浮き彫りになります。
特許庁の登録情報によると、単独の「信玄餅」という名称は、北杜市白州町に本店を構える金精軒製菓株式会社の登録商標(第1015994号他)として保護されています。一方、販売規模や全国的な流通量で圧倒的なシェアを誇る桔梗屋の商品は、必ず頭に屋号を冠した「桔梗信玄餅」と表記されています。この名称の差異こそが、両者の歩んできた歴史を象徴しています。
歴史的な事実として、きな粉をまぶした餅に黒蜜をかけ、ポリ容器と風呂敷風のビニールで包む形態を考案し、1968年(昭和43年)に先行して発売したのは桔梗屋でした。武田信玄が陣中食としていた保存食「切り餅」や、山梨県全域でお盆の時期に家庭で作られていた「安倍川餅」の風習に着想を得て商品化したとされています。
しかし、その後に金精軒が1971年頃に独自の信玄餅を開発し、「信玄餅」の商標を正式に出願・取得しました。山梨銘菓として定着する過程で両社間に名称を巡る協議が行われ、金精軒が「信玄餅」の商標権を保有しつつ、桔梗屋は「桔梗信玄餅」として販売を継続するという現在の棲み分けが確立されたのです。つまり、「パッケージの販売形態を先に世に出したのは桔梗屋」「正統な『信玄餅』の商標を保持しているのは金精軒」というのが、報道資料や業界史が示す客観的な事実関係です。