作品を鑑賞した誰もが心を揺さぶられるのは、園丁(庭師)として働くロボット兵と、要塞で圧倒的な破壊力を発揮する戦闘用ロボット兵の見事な対比だ。同じボディを持ちながら、片や苔に覆われ小鳥の手入れをし、片や火の海と化した城でビームを放ち荒れ狂う。
宮崎駿監督がロボット兵に個別の「名前」を与えなかったのは、単なる無機質な兵器としての記号性を担保するためだけではない。むしろ、人間側の都合や命令によって「兵器」にも「自然の守護者」にもなり得るという、テクノロジーの二面性を抽象化して描くためだったと言える。個人の識別名を与えないことで、彼らは拉致された兵器の悲哀と、古代ラピュタ文明の遺物としての神話的佇まいを同時に獲得したのだ。