1992年の合同結婚式後、桜田淳子は芸能活動を休止し、夫の実家と事業拠点があった福井県敦賀市へ移住しました。日本海に面した敦賀の地で、彼女は3人の子ども(長男、長女、次女)を出産。かつてスポットライトを一身に浴びていたスターとは思えないほど、質素な地方での子育て生活に身を投じていました。
当時の報道や手記によると、福井での生活は決して平坦なものではありませんでした。世界的注目を集めた宗教婚であったことから、常に好奇の目に晒され、夫が営んでいた工場や地元ビジネスもメディアの過熱報道や教団報道のあおりを受け、経営上の大きな打撃を被ることになります。
そうした逆境のなかで決断されたのが、2000年前後の福井県から東京都内への再転居でした。この転居の背景には、大きく分けて2つの明確な理由が存在します。
第1の理由は、「子どもたちの進学・教育環境の確保」です。地方都市特有の狭いコミュニティでは、母親が「桜田淳子」であること、そして両親が教団の信者であることが、成長する子どもたちにとって過剰な心理的負担になりかねませんでした。首都圏の私立一貫校やオルタナティブな選択肢が存在する東京へ拠点を移すことで、子どもたちを過度な世間の好奇の目から守ろうとしたのです。
第2の理由は、夫のビジネス拠点のシフトと実家の事情でした。福井での事業を整理・縮小し、都内での新たなコンサルティング業務や輸入関連事業へ舵を切る必要が生じたため、一家揃っての都内転居が選択されました。この決断が、現在の世田谷区での長きにわたる生活基盤の確立へと繋がっています。