一夫多妻の起源を「宗教が始めた」と考えるのは正確ではない。人類学的には、一夫多妻は宗教の成立よりもはるか以前から存在した婚姻戦略だった。狩猟採集社会から農耕社会への移行期、労働力としての子供の価値が高まると同時に、多くの子供を産める女性を複数囲うことが、家系の存続と経済的繁栄に直結した。つまり、一夫多妻の本質は「子孫繁栄の最大化戦略」だったのである。
さらに戦争や紛争による男性人口の激減も大きな要因だ。例えば第一次世界大戦後のドイツでは、戦死者により男女比が大きく崩れた。歴史学者の指摘によれば、当時の一部知識人の間では「余剰となった女性を救済するために一夫多妻制を導入すべき」という議論が真剣に交わされたという。実現はしなかったものの、一夫多妻が単なる「男の欲望」ではなく、社会構造の歪みに対する制度設計として提案された事実は重要だ。現在の一夫多妻合法国でも、内戦後の男女比の偏りが制度存続の背景にあるケースは少なくない。
経済的要因も見逃せない。農業社会では複数の妻とその子供たちがそのまま生産力となる。現代でもナイジェリア北部やケニアの一部地域では、広大な農地を持つ男性が複数の妻を迎え、家族全体で農業経営を行う形態が現存している。ここに「愛」や「信仰」という言葉だけでは説明できない、極めてドライな生存戦略としての一夫多妻の姿が見える。