真田丸で話題沸騰の出浦昌相とは?素破頭領の実像と最期を徹底解剖

真田丸で話題沸騰の出浦昌相とは?素破頭領の実像と最期を徹底解剖

真田丸で話題沸騰の出浦昌相とは?素破頭領の実像と最期を徹底解剖について詳しく解説いたします。専門家の見解をお届けします。

インターネット上の歴史コミュニティや検索エンジンで「いで うらま さすけ」と入力されることが多いこの人物の正式な表記は、出浦昌相(読み方:いでうら まさすけ)です。別名として出浦対馬守(いでうら つしまのかみ)の名でも広く知られ、諱(実名)については史料によって「盛清(もりきよ)」や「幸吉」と記されるケースも見られます。

講談や忍者漫画の影響から、真田十勇士の猿飛佐助や霧隠才蔵と同じような「後世に創作された架空のスパイ」と混同されがちですが、出浦昌相は紛れもない実在の人物です。出浦氏は信濃源氏の流れをくむ村上氏の一族とされ、現在の長野県埴科郡坂城町出浦の地領主として、鎌倉時代から代々根を張ってきた名門国衆の一角でした。

現存する武田信玄判物や真田昌幸充行状などの一次史料には、出浦対馬守宛てに給地を与えたり軍役を命じたりする公文書が多数遺されています。これらの一次史料が証明するように、彼は暗闇に隠れるだけの無名なスパイではなく、一族と家臣団を率いて領地を治め、正規の武士として主君に仕えた有力武将でした。

池田 達也
著者

池田 達也

Webメディアでの編集・執筆歴10年。読者の好奇心を刺激するストーリー作りを心がけています。