三井三池炭鉱の歴史は、官営事業から三井組(後の三井財閥)への払い下げが行われた明治中期に大きく加速しました。三井三池炭鉱事務長に就任した團琢磨(だんたくま)は、欧米の最先端炭鉱技術を惜しみなく導入。出水事故に悩まされていた採炭現場にイギリス製デビーポンプを配備し、海底深くに広がる優良な石炭層の採掘を可能にしました。
その技術的到達点として1897(明治30)年から開削が始まったのが万田坑です。第一竪坑と第二竪坑という2つの大動脈を備え、出炭量は三池炭鉱全体でも突出した規模を誇りました。2015年に「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」の一環として世界文化遺産に登録された理由は、欧米からの技術導入と自国への適合化を短期間で成し遂げ、アジア初の産業国家へと飛躍した歴史的証拠が極めて良好な状態で現存している点にあります。
しかし、高度経済成長期のエネルギー転換(石炭から石油へ)に伴い、採炭効率の観点から1951(昭和26)年に採炭を終了。その後は坑内水処理や人員昇降のための管理坑口として機能し続けましたが、1997(平成9)年3月の三井三池炭鉱全面閉山とともにその役目を終えました。閉山経緯を知ることで、産業の栄枯盛衰と現場の熱量がより生々しく心に響きます。