清朝最後の皇帝・溥儀の数奇な生涯|紫禁城追放から庭師転落と死因真相

清朝最後の皇帝・溥儀の数奇な生涯|紫禁城追放から庭師転落と死因真相

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1945年8月、日本の敗戦に伴い満洲国は崩壊。溥儀は飛行機で日本への亡命を図ったものの、奉天(現在の瀋陽)の飛行場でソ連軍(赤軍)に拘束されました。その後5年間、ソ連国内の収容所に軟禁された後、1950年に中華人民共和国へと身柄を引き渡されます。

送還先となった遼寧省の撫順戦犯管理所(ぶじゅんせんぱんかんりしょ)で、溥儀は「戦犯囚人番号981」として収容されました。生まれてから一度も自分で靴紐を結んだことがなく、衣服の脱ぎ着から洗面まですべて従者に任せていた皇帝にとって、収容所生活は文字通りのカルチャーショックでした。当初は周囲の元臣下に身の回りの世話をさせようとして反発を買いましたが、次第に自らの手で掃除や洗濯、野菜の栽培を行うようになり、生活能力を身につけていきます。

10年近くに及ぶ収容所での「思想改造」と自己批判を経て、1959年12月、建国10周年の特赦令により溥儀は模範囚として釈放されました。北京に戻った彼に毛沢東政権が最初に与えた仕事こそが、中国科学院北京植物園での庭師(植物栽培員)および入場券の販売係だったのです。

かつて「天子」として崇められた男が、庶民と同じ人民服を着て土を耕し、植物の剪定に汗を流す姿は、国内外に大きな衝撃を与えました。溥儀本人はこの庭師時代を非常に誇りに思っており、自らの稼ぎで食事を買い、路面電車に乗るという「平凡な日常」に深い安らぎを見出していたと伝えられています。1962年には看護師の李淑賢(り しゅくけん)と結婚し、生涯で唯一となる「対等な夫婦生活」を築きました。

加藤 愛美
著者

加藤 愛美

マーケティングと消費者心理のトレンドを分析し、現代のヒット商品の背景を読み解きます。