凄惨を極めた事件内容に対し、東京地方裁判所および東京高等裁判所で行われた公判では、少年法の理念と処罰感情の衝突が激しく争われました。検察側は無期懲役を求刑したものの、当時の司法判断は「少年の可塑性(更生の可能性)」を重く見る傾向にありました。
1990年7月の東京地裁判決、そして1991年7月の東京高裁判決において、主犯格の少年Aには懲役17年以上20年以下の不定期刑(確定)が言い渡されました。判決理由では「犯罪史上稀に見る極めて残虐・非道な犯行」と厳しく断罪されつつも、犯行当時の年齢や生育環境、家庭内における精神的未成熟さが量刑に反映される形となりました。
この司法判断は被害者遺族のみならず世論から激しい反発を呼び、「重大凶悪犯罪において未成年者を過度に保護する少年法は妥当なのか」という抜本的な見直し論争へと発展しました。この事件を契機とする議論の蓄積が、その後の2000年改正(刑事処分可能年齢の16歳から14歳への引き下げ)や、2022年の民法改正に伴う特定少年の規定導入など、少年法厳罰化の流れを決定づける歴史的転換点となったのです。