仁科盛信の壮絶な最期と高遠城の戦い!武田最後の猛将と子孫の血統

仁科盛信の壮絶な最期と高遠城の戦い!武田最後の猛将と子孫の血統

仁科盛信の壮絶な最期と高遠城の戦い!武田最後の猛将と子孫の血統の基本情報から最新動向までを徹底的にカバーしました。

天正10年3月2日早朝、織田信忠軍による総攻撃が開始されました。織田軍は本丸を取り囲み、数で圧倒するものの、高遠城の城兵は盛信を筆頭に小山田昌成・大学助兄弟、諏訪勝右衛門ら精鋭が死兵となって迎撃。織田側にも多くの戦死者を出させる激戦となりました。

しかし、圧倒的な兵力差と城壁の突破により、正午過ぎには本丸へと敵兵が乱入。もはや城を維持することが不可能となった際、仁科盛信が見せた最期は後世に語り継がれる壮絶なものでした。

『信長公記』や現地の軍記物によると、盛信は敵兵が迫るなかで堂々と割腹。腹を十文字に掻き切り、自らの手で内臓を掴み出すと、天井や敵兵の群れに向かって投げつけたと記されています。享年26。自らの命を賭して織田軍の前に立ちはだかり、武田武士の気概を天下に見せつけた瞬間でした。

盛信の首級は織田信忠のもとへと送られ、その後、甲府の一条宿にて武田勝頼・信勝親子の首とともに獄門に晒されたと記録されています。

渡辺 美咲
著者

渡辺 美咲

心身ともに健康で持続可能なライフスタイルをテーマに、最新のウェルネストレンドを発信中。